当時、店舗の脇を「安積疎水」の末流が流れていました。4月ぐらいから、猪苗代湖からの清流がゴンゴンと音を立てて、流れていました。きれいな水で、夏は泳いでおりました。
・・・・帰国後、この店のボスと連絡をとることができ、翌年再訪し、何とか仕入れをすることができた。
開成(福島県郡山市開成)は、このほど日本遺産の一つに指定された「未来を拓いた「一本の水路」-大久保利通“最期の夢”と開拓者の軌跡 郡山・猪苗代-」の、安積(あさか)開拓の中心的象徴的な地域です。
「あさか舞」の産地、安積平野のほぼ中心の高台にあります。北には、優美な安達太良山、西北に磐梯山を望み、西の安積山陰には満々とした水量を誇る猪苗代湖を抱える素晴らしい地。
しかし、高台にあるため、稲作には適さず、原地のままになっておりました。
明治の始め、廃藩置県により、それまでの武士が解職されました。そのため、遠く九州中国四国の久留米藩、鳥取藩、高知藩の藩士、近くは、二本松藩などから郡山周縁にそれぞれ集落を作り、不慣れな上、困難な農地開墾にいそしんだのです。
明治5年、安積開拓のため、猪苗代湖から延々数十Kmの水路(安積疎水)を開くことになり、明治の元勲 大久保利通の強い意向で明治国家直轄の事業となりました。
そのためハイカラな擬洋風の「開成館」が建てられ、国直轄の「開拓係」の事務所とされました。
明治政府は、困難な事業に取り組む彼らを督励するするため、伊勢神宮の分社として「開成山大神宮」の建立を初め、福島県初の中高教育機関「安積中学」(現:安積高校)を擬洋風の校舎にして、県内外から学生を集め、明治から現在まで多くの傑材を輩出しました。