会社沿革

1946~(昭和21年)
終戦後、初代が郡山市開成の現在地に「佐藤羊毛加工所」を設立
その後、毛糸屋さんに。

当時、店舗の脇を「安積疎水」の末流が流れていました。4月ぐらいから、猪苗代湖からの清流がゴンゴンと音を立てて、流れていました。きれいな水で、夏は泳いでおりました。

1975~(昭和50年~)
デパートに勤めていた2代目が戻り、家具店に転向。
品揃えを「籐家具」を中心に移行していく。
1980年代~(昭和50年代後半)
籐家具に合うライフスタイル提案として、南欧の陶器やアジアのインテリア小物を展開。

1990年代(昭和60年代)
インドネシア(家具/木彫)・タイ(陶器/衣料)・ネパール(アクセサリー)から商品仕入販売展開。

初めての海外仕入は、恥ずかしかった思いとして思い起こされる。なんの手がかりもなく経験ももちろんなかったが、期待だけが大きかったので不安はなかった。それらしきところに当たりをつけ、行き当たりばったりでスタッフらしき人物と話をした。
言葉の全くの行き違い勘違いばかりで、会話が成り立たなかった。なんだなんだと周りに人が集まって話に入り込んで来るので、余計に話がこんがらかって収拾が付かなくなっていた。
薄暗い電灯の下、蒸し暑く狭苦しい店のなかで、7~8人の男たちが理解できない言葉で話しかけられ取り囲まれて途方に暮れたことを思い出す。

・・・・帰国後、この店のボスと連絡をとることができ、翌年再訪し、何とか仕入れをすることができた。

2000年代~(平成20年~)
大型ショッピングセンターのFESTA及びイオンタウン郡山に相次いで出店。
2016年FESTA店を撤退、2018年イオンタウン郡山を撤退。

開成(郡山市)の沿革

開成(福島県郡山市開成)は、このほど日本遺産の一つに指定された「未来を拓いた「一本の水路」-大久保利通“最期の夢”と開拓者の軌跡 郡山・猪苗代-」の、安積(あさか)開拓の中心的象徴的な地域です。

「あさか舞」の産地、安積平野のほぼ中心の高台にあります。北には、優美な安達太良山、西北に磐梯山を望み、西の安積山陰には満々とした水量を誇る猪苗代湖を抱える素晴らしい地。
しかし、高台にあるため、稲作には適さず、原地のままになっておりました。

明治の始め、廃藩置県により、それまでの武士が解職されました。そのため、遠く九州中国四国の久留米藩、鳥取藩、高知藩の藩士、近くは、二本松藩などから郡山周縁にそれぞれ集落を作り、不慣れな上、困難な農地開墾にいそしんだのです。

明治5年、安積開拓のため、猪苗代湖から延々数十Kmの水路(安積疎水)を開くことになり、明治の元勲 大久保利通の強い意向で明治国家直轄の事業となりました。

そのためハイカラな擬洋風の「開成館」が建てられ、国直轄の「開拓係」の事務所とされました。

明治政府は、困難な事業に取り組む彼らを督励するするため、伊勢神宮の分社として「開成山大神宮」の建立を初め、福島県初の中高教育機関「安積中学」(現:安積高校)を擬洋風の校舎にして、県内外から学生を集め、明治から現在まで多くの傑材を輩出しました。

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